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《コンビニエントミステリー》

 肩に乗った自分の髪の毛から、枝毛を探す。いくら茶色に染めたばかりで痛んだ毛髪といえど、火木金と週三回チェックされれば、さすがに駆逐し終えてしまう。
 代わりに、肩についた、ビニールの切れ端を見つけた。
「お」
 おそらく、三十分程前に、お菓子の品出しをした際についたものだろう。
 化学繊維で出来たこの店の制服にはよくあることだ。
 静電気でくっついているビニールを摘まんで引きはがし、ゴミ箱へと放り込む。
 たった二秒でも、やるべきことが見つかり、時間を潰せたことを私の脳みそは喜んだ。
「うーん。暇だ」
 レジカウンター越しに店内を眺める。正面にはカラフルなガムが棚に陳列されている。スナック菓子に、カップ麺に、アイスに文房具に雑誌。ここには大抵のものが揃っている。
 ないのは“やること”だけだ。
「お客さん、今、ポケットにポテチを入れましたよね!」
 お菓子売り場を指さしてみる。もちろん、そこに万引き犯などいない。
 コンビニエンスストア《ファンキーマート》山野奥店。
 県の端っこにある小さな町の、さらに端っこに、この店は建っている。
 周りには、畑と空き地が広がっている他は、ぽつぽつと、中小企業の工場があるだけだ。
 お昼は、工場で働く人や、付近の住民がやってくるらしいが、深夜の二時ともなれば、目の前の道路に車すら通らない。
「お客さん! 今、ポケットに、特別付録オリジナルポーチ付きの結婚情報誌を入れましたね!」
「大胆すぎるやろ。万引き犯」
 入店音と共に店内に入ってきたのは、同僚の久保津(くぼつ)さんだった。
 ホウキの柄で背中を掻きながら、レジカウンターへと入ってくる。
「てか、一人で何やっとんねん。加奈子」
 何度も下の名前で呼ばないでほしいとお願いしたが、久保津さんは聞いてくれない。なんでも友人に私と同じ苗字の人がいて、混同を避けたいらしい。
「万引き犯が現れた時の練習ですよ」
「ちょっと、おもろそうな遊びやけど、自分、カメラに全部映ってんで」
 関西人の久保津(くぼつ)さんの”自分”は”あなた”を意味している。
 天井に設置されたカメラを確認する。明け方やってくる店長が、わざわざ録画を見返すとは思えないが、確かに、こんな奇行がデータとして残るのは少々恥ずかしい。
「だって、暇すぎて、やることがないんですもーん。お客さん来そうでしたか?」
「いんや。車もトラックもダンプもセグウェイも通らんかったわ」
 久保津さんが首を振ると、ヘアゴムで一つにくくった天然パーマが、後頭部で揺れた。一見すると、金だわしを頭に乗せているようにも見える。
「トラックとダンプは一緒でしょ?」
「あ? ちゃうわ。全然」
 久保津さんは、レジの後ろの棚にもたれかかり、人差し指を挙げた。
「昨日テレビで見てん。トラックとダンプはな、その、なんだ……。何かがちゃうらしいで。何がちゃうかは忘れてもーたけど」
「わー、不完全燃焼……」
「あと、ミステリーとサスペンスも、何かがちゃうらしい」
 特に思い出そうとする素振りも見せず、久保津さんは顎の無精ひげをなでた。
 私たちの会話は弾むことなく途切れ、二人の間は店内放送で満たされる。
 聞いているお客さんは誰もいないにも関わらず、アナウンサーが春の新商品を宣伝し続けている。
「暇ですねー」
「暇やなー」
 以前、大学の友人に、アルバイト中、暇であることを相談したら「それでお金がもらえるのなら最高じゃないの」と帰ってきた。
 勤務初日は、私も同じことを考えていた。だが、甘かった。
 退屈でいることは、予想以上に体力と精神力を削るのだ。
 そして、だんだんと、まるで世界の時間が止まっているのではないかと錯覚し始める。判断力は低下し、いもしない万引き犯に注意を始めてしまうほどだ。
 何よりも、充実感がない。
「カラオケの六時間は一瞬で終わるのに……」
「加奈子。それはあれやな。アインなんだかシュタインが言ってた、そうたいせー理論。ってやつやな」
「久保津さん、合ってます。”なんだか”いらないですよ」
 ただ久保津さんの言うことだ。どうせ聞きかじった知識で、掘り下げることはできないだろう。
『では、ここで、今話題のキュートアイドル! メロンベリーさんからのお知らせです!』
 店内放送が、アナウンサーから舌足らずで幼い声に委ねられる。
 私は心の中で“来た”と身構えてしまう。
『ただいまファンキーマートでは、私達“メロンベリー”とのコラボキャンペーン実施中だよぉ! 対象商品を買って、メロンベリーの武道館ライブチケットを当てちゃおう! どしどし応募待ってるからね! メロ~ン……』
「「ベリー」」
 久保津さんと同時に、人差し指を高く突き立てて応える。
 アイドルが「メロン」と言ったら、ファンが「ベリー」と叫ぶ。
 これは、このアイドルグループではおなじみの、コール&レスポンスらしい。
 ただ、私も久保津さんも、メロンベリーファンというわけではない。これは発狂してしまわないための苦肉の策なのだ。
 コンビニの店内放送は、二十分ほどで一周する。つまり一時間に三回。六時間のシフトで、十八回同じ放送を聞かされることになるのだ。
 新商品の紹介に、キャンペーンの告知、知りもしない歌手の新曲に芸人の一発ギャグ。最初は面白くても、繰り返されれば一言一句覚えてしまう。
 これはもう拷問に近い。店内のスピーカーを、モップで破壊しそうになったこともあるくらいだ。
 そこにきて、今月の頭から流れ始めたこのアイドルグループ、メロンベリーのキャンペーン放送だ。
「もう分かったから! 対象商品を買えば武道館にいけるのね! 分かったから!」と叫び出しそうになっているところに、久保津さんが提案してくれたのだ。
「やっぱ正解やったな。定期的にやることがあるってだけで、精神が保たれるわ」
「ですね。久保津さんにしては、いいアイディアでしたよ」
「でも、お前、どうせなら、もっとテンション上げて叫べや」
「久保津さんだって、無感情でベリーって言ってるじゃないですか」
 義務感とだるさがプンプン漂うこんなレスポンスを、生粋のメロンベリーファンが聞いたら怒るかもしれない。だが、店内に客はいないのだから問題はない。
「もう癖になってきましたね」
「全自動で出るもんな。ベリー。って」
 久保津さんはケタケタと笑いながら、電子レンジの上に乗った、小銭を数える為のプラスチックケースを取り出し、レジの金額を確認し始めた。
「レジ締めには早くないですか?」
「ちゃうねん。これは前のシフトのやつが忘れてたから、頼まれてたやつやねん」
「え、なら、私やりますよ。てか、やらせてくださいよ」
「知らん」
 久保津さんは小銭を数え終えると、親指の腹に唾液をつけてから、今度はお札の枚数を数え始めた。
「久保津さん、お札数えるときに親指ベロンてするのやめてくださいよ。野口英世と、次に触る人がかわいそうです」
「しゃあないやん。すべんねん」
 私はそれから、仕事をとられてしまった謎の敗北感と共に、久保津さんが作業を終えるのを待った。
「ねぇ、久保津さん。なんか面白い話ないですかー?」
「関西人にその言い方は禁句やで。やる気は出すけど、大抵空回るからな」
 久保津さんの返答は適当だ。眠気と退屈で彼も頭がとろけているのだろう。
 このままでは、二人そろって魂が風船のようにふわふわと飛んでいってしまう。そんな危機感を抱き始めた時、久保津さんが口を開いた。

「そういや、一個おもろい話があんねん」
 久保津さんは”おもろい”と自らハードルを上げた。
「どの話ですか?」
「隣町のファンキーマートで、店員が自殺したっちゅう話」
「初耳ですね」
 自殺という物騒な言葉を、私の頭はすんなりと受け入れた。
「その人も深夜シフトだったんですかね?」
「なんで?」

 右肩あがりのイントネーションで久保津さんが尋ね返してくる。
「いや、暇過ぎて自殺したのかなーと」
「そら確かにいいアイディアやな。目が鱗になるわ」
「目が点になるでしょ?」
「そうやったっけ?」
『どしどし応募待ってるからね! メロ~ン……』
「「ベリー!」」
 天井に向けた、けだるげな指先を、久保津さんと共に降ろす。
 何事もなかったかのように、私たちは会話を再開する。
「確か新聞にも載ってたはずやで」
 久保津さんはレジカウンターを出て、商品棚から、新聞を持って戻ってきた。
 その記事は、一番後ろに小さくスペースがとられていた。
《コンビニ店員。白昼の店内で服毒自殺》
 白昼とあるので、死んだ彼は昼のシフトだったらしい。
《○日、A市のコンビニで、突如男性店員が倒れ、病院へ搬送された。男性は治療の甲斐なく死亡が確認された。警察が検視を行ったところ、男性の体内からは、劇薬であるポイズトキシンが検出された》
「店長から聞いてんけどな。その自殺した店員、A大学の学生やったらしいで。確か、りこう学部」
「へー、A大の理工学部っていったら、結構、偏差値高いですよね」
「りこう学部っていうくらいやから、そりゃ頭はいいやろな」
 きっと久保津さんの頭の中では“理工”ではなく“利口”で変換されているのだろう。面倒なので訂正はしない。
「そいつは大学から、研究用の薬品をくすねたんやて。触る分にはええけど、少しでも口に入ると、ぽっくり逝ってまうって毒らしいで」
 もう一度、新聞記事に視線を戻す。
 記事の続きを読むと、久保津さんの言うとおり、死亡した店員がA大学の研究室から毒を盗んだことが、監視カメラの映像から分かっている、と書かれていた。
 さらに、就職がうまくいかず、精神的に追い詰められていた。という情報も、友人達への取材から判明していたようだ。
「で、この話のどこが”おもろい”んですか?」
 久保津さんはにたりと笑いながら、私に顔を近づけた。
「いやいや、考えてみれば分かるやん。そいつ、シフト中に自殺したんやで?」
 くたびれていた私の意識が、わずかに息を吹き返す。冷静に考えてみれば、確かに、興味深い話だった。
「そっか、なんでこの人、わざわざ勤務中に毒を飲んだんだろ」
「普通、自殺するなら、樹海とかやんな?」
「樹海とは限らないですけど、服毒自殺なら、自宅とかでやりますよね」
「毒はポイズなんだか、ってやつで、フグの毒ちゃうで」
 服毒という言葉すら知らない久保津さんを差し置いて、私は思考を巡らせる。
「なんで、わざわざシフト中に。店長に嫌がらせしたかったのかしら……」
「しかも、接客中やからな。指に塗ってた毒を、こっそり舐めたらしい」
 アルバイトに入った時にもらった、『接客マニュアル』を思い出す。
《笑顔で接客しよう!》とは書いてあったが《自殺はやめよう!》とは書かれていなかった。
「暇すぎて、なんか自分の存在意義を見失うことは確かにありますけどねー。私、何のためにこのバイトやってるんだろ、って」
「そら、時給のためやろ」
 久保津さんがはっきりと言い切る。
「俺らの時給って九百五十円やん? それを六十で割ると、分給が出るやろ?」
「さらに六十で割れば、秒給出ますね」
「せや。そんで、時計見ながら、一秒ごとに二円増えていくのを見ると、この暇な時間も無駄じゃないことを実感できんねんで! お前もやってたらええわ!」
 久保津さんが、親指を立てる。実は、私自身もそんな計算をしてみたことはあったが、すぐに飽きた。
「ちなみに、ビルゲイツは一秒で五千万円稼ぐらしいですよ」
 久保津さんが、ゆっくりと親指を下ろす。
「俺の将来の夢決まったわ。ビルゲイツの靴舐める屋さんになるわ」
「せめて磨きましょ。そこは。っていうか、話が逸れてます」
 せっかく、刺激的な話題が生まれたのだ。このまま、横道に逸れるのは惜しい。
「さっきの話は、不思議やなー、おもろいことするやつがおんねんなーで、終わってええやんか」
「それこそ不完全燃焼ですよ」
 以前、久保津さんとなぞなぞをして、時間を潰したことを思い出す。彼は三秒と待たず「降参だ!」と白旗を揚げていた。あてにはならない。
「もしかしたら、自殺じゃなくて、他殺だったのかもしれませんよ」
「他殺ってのは、あれやんな。人に殺されるってことやんな?」
 小学生レベルの日本語を、確認する久保津さんを無視して話を進める。
「誰かに毒をもられたってことは考えられないんですかね?」
「それはないやろー。毒の瓶は、死んだ店員のポケットに入ってたらしいし」
「それは死んだあとに入れられるじゃないですか」
「それもそやな。お前天才やん。殺しの」
 久保津さんが褒めてくれたが、ふとさっきの話を思い出し、自分で自分の説を取り下げる。
「あ、でも、毒はその店員が大学から盗んだって新聞に書いてましたもんね。他殺はないのか」
「ほんまや。お前天才ちゃうやん。殺し屋なられへんな」
 しばらく頭を捻ったが、私は探偵でもなければ、優等生ですらない。
 少ない情報から、この事件の不思議な点を解明することなど、できるはずもなかった。
「うーん。降参だなぁ」
「めっちゃしんどい精神状態だったとか新聞に書いてあるし、自分でもよう分からんうちにやってもうたんやろ」
「そんなとこ、なんですかねぇ」
「まぁ、ええやん。割と時間は潰せたし」
 久保津さんが時計を指さす。確かに十五分ほど長針が進んでいた。
「あー、でも、そろそろあいつが来ますねぇ……」
 普段なら時間経過を喜ぶが、この時間帯だけはそうもいかなかった。
「あいつ?」
「ほら、これくらいの時間になると、サラリーマンのおじさんが来るじゃないですか」
「あーあの、太ったおっさんな。いつも発泡酒買ってく。別にええやん。接客、暇潰しになるんやから」
「あのおじさんだけは別ですよ」
 鼻の下を伸ばしたおじさんの顔が頭に浮かんで、鳥肌が立つ。
「あいつは絵に描いたようなエロ親父なんですよ。セクハラ発言するし、私の胸元じろじろ見てくるし」
「お前の胸を? 物好きやなー」
 久保津さんの脇腹に肘鉄を食らわせてから続ける。
「しかも、おつりを渡す時、私の手を握ってくるんですよ」
「気のせいちゃう? 俺にそんなことしてきたことないで」
「久保津さんと一緒にしないでください。私はピチピチ女子大生なんです」
 久保津さんが「自分でピチピチ言うやつ初めて見たわ」と冷静に言い返してきたが、無視する。
「だって、あいつ、毎回絶対一万円で会計するんですよ」
「それがなんやねん」
「小銭とお札で、二回、触る為にわざとそうしてるんですよ」
 指先がぞくぞくして、私は思わず両手を擦り合わせた。
「発泡酒の缶で、百回、殴りつけてやりたくなります」
「そんなん死んでまうやん」
「いや、あくまでイメージの話ですけどね。でも、正直、あのおじさんに抱えている感情は、殺意に近いですね。久保津さんにもいるでしょ? そういう嫌いな客」
「あー確かに。結構見下されがちやからな。この仕事」
 久保津さんが淡々と、私がこの店に入ってくる前の話を始めた。
「昔な、なんかめっちゃいいスーツ着たやつが客で来てん。当時俺まだ新人で、レジ打ち手間取ってもうたんやけど、そしたら、そいつ、めっちゃキレ始めてな」
 クズ、タワシ頭、ボケナス。私が聞いても腹が立ってしまうような罵詈雑言を、畳みかけられたらしい。
「まぁ、そいつは一回しか来ぇへんかってんけど、毎日のように来たら、殺したくもなるんかもなー」
「久保津さんも苦労してるんですね」
「いやいや、それくらい、接客業してれば、誰にでも起きるやろ。ただでさえ、ここらへん柄が悪いやつ多いんやし」
 本当に心の底から気にしていないような口ぶりに、久保津さんの器のでかさを感じる。少しだけ、彼のことを見直した。
「あ、でも、そいつもしかしたら金持ちやったんかな。殴らんと、靴舐めとけばよかったわー」
 前言撤回。同情心が、一瞬にして消え失せる。
「と、とにかく、私にとって、それくらい苦手な相手なんですよ。あのおじさんは……」
 言ってるそばから、自動ドアが開き、入店音が鳴った。
 普段の時間通り入ってきたのは、やはり太ったおじさんだった。
 店内を物色してから、結局いつもの発泡酒とおつまみを持って、彼は、私の立つレジへとやってくる。
「いやー今日も疲れちゃったよ。店員さんみたいな子に癒してほしいなぁ。肩揉みサービスとか、ここやってないの?」
「本社にお問い合わせください」
 できる限り冷たく返したつもりだが、おじさんはひるまない。
「じゃあ、個人的に肩もんでよ。そしたら、おじさんも、店員さんを揉んであげるからさぁ~」
 じんましんが出そうだった。殴り倒してしまいそうな欲求を必死に押さえる。
 あぁ、ここに、舐めるだけで死に至らしめることのできる毒薬があればいいのに。
 そしたら、袋詰めのどさくさに紛れて、発泡酒の飲み口に塗りたくってやる。
「じゃあ、これで会計よろしくねぇ~」
 おじさんは、やはり一万円札をレジカウンターに乗せた。
 レジに預かり金額を打ち込もうとした時、久保津さんが、私をおじさんの間に、ずずいと入ってきた。
「加奈子。このレジ、確か、一円玉なくなりそうやってん。金庫から新しいの出してーや?」
 彼は、一万円札を受け取ると、レジへと預かり金額を素早く打ち込んだ。
 おじさんは、恨めしそうに久保津さんをにらみながら、小さく舌打ちをする。
 ――久保津! グッジョブやで!
 私は心の中で、エセ関西弁を叫ぶ。
 ながく一緒にシフトに入ってきたが、久保津さんが、こんな気遣いのできる人だとは知らなかった。
 私は久保津さんの善行に甘え、レジカウンターの内側に設置された金庫へと手を伸ばす。一円玉の束を取り出し、立ち上がった時だった。
『対象商品を買って、メロンベリーの武道館ライブチケットを当てちゃおう! どしどし応募待ってるからね!』
 流れてきた店内放送に、いけないと理解しつつも、人差し指を立ててしまう。
『メロ~ン……』
「「ベリー」」
 私と久保津さんの両方が、腕を天に掲げた。
「な、なんだ今のは、接客中だってのに、馬鹿にしてんのか!」
 おじさんが、顔を真っ赤にしている。もしかしたら、突然行われたその動作が、威嚇かなにかに見えたのかもしれない。
「いやー、癖になってもーて」
「癖?」
「ついついやってまう癖。そういうのって誰にもでもあるやないですか。やったアカン! って思ってても、無意識に出ちゃう感じの」
 久保津さんがヘヘヘと笑いながら会計を済ませて、レジからお釣りを取り出す。
「ほんじゃ、九千四百五十円のお返しになります。まず、大きいほう、五、六、七――」
 その時、退屈の中で不毛な会話を重ねてきた頭に、一滴の雫が落ちてきたような感覚に襲われる。
「あ」
 気づいたときには、そう口に出していた。
「なんやねん急に」
 久保津さんとおじさんが、けげんな表情で、こちらを伺っている。
 私は慌てて「いやーなんでもないです」と誤魔化しながら、頭の中に降ってきた閃きを整理した。
 あの、わざわざ、接客中に服毒自殺した店員のことだ。
 ――結構見下されがちやからな。この仕事。
 ――そいつは一回しか来ぇへんかってんけど、毎日のように来たら、殺したくもなるんかもなー。
 就職活動がうまくいかず、疲弊した精神状態の彼を、馬鹿にする客がいたとする。
 もし仮に、彼が、盗んだ毒を使ってその相手を殺そうとしていたならば、私と同じように、客が口にする商品に、塗りつけようと画策するのではないだろうか。
 その為に、相手が来店する間際に、親指に毒をつけていたとする。
 ――久保津さん、お札数えるときに親指ベロンてするのやめてくださいよ。野口英世と、次に触る人がかわいそうです。
 先ほど、お釣りを数えているときにも、久保津さんはいつもの癖で、親指の腹を舐めていた。それは、私が先ほど注意したばかりだというのに、まったくもって自然に行われていた。
 ――ついついやってまう癖。そういうのって誰にでもあるやないですか。やったアカン! って思ってても、無意識に出ちゃう感じの
 もし仮に、例の店員にも、お札を数えるときに、指を舐めてしまう癖があったのだとしたら。
 頭の中で彼の顔を想像する。
 憎しみにとらわれ、ポケットの中の毒を親指につけてから接客に臨む、彼の悪魔のような表情。
 そして、お釣りを数えるときに、間違って毒を舐めてしまった時の、無表情。
 それは、あまりに馬鹿馬鹿しい人生の幕切れだ。
「いやいやいや、流石にそれはないか」
「加奈子、お前一人で何言ってんねん」
 気がつくと、すでにおじさんはいなくなっていた。
 久保津さんが頭の後ろにまとめたモジャモジャを揺らしながら、私の顔をのぞき込んでいる。
「いやー、なんでもないです」
 降って湧いたアイディアを、私は彼に説明はしない。
「あ、それより久保津さん、さっきは、ありがとうございました」
「ありがとう? 何の話やねん」
「いや、さっき、あのおじさんの接客代わってくれたじゃないですか。一円玉が少ないとかなんとか言って……」
 首を捻り続けている久保津さんの顔を見て、私は慌ててレジの引き出しを開ける。
 そこには、一円玉が本当に一枚も入ってなかった。
「久保津さん。お礼返してください……」
「だから、何の話やねん」
 久保津さんは、大きなあくびをして、また腕を組んだ。
《ファンキーマート》とシールの貼られたガラス越しに、外を眺める。
 朝は、まだ遠そうだ。
「久保津さんー……」
「なんやー」
「なんか面白い話ないっすかー?」

※この作品は商用利用や自作発言をしない限り、作品の雰囲気を尊重し、原作者名を表示していただけれ ば、漫画化、イラスト化、映像作品や演劇などの原作としての使用等の二次利用OKです。

 楽しんでいただくと同時に、小川晴央という作家を知ってもらうきっかけになったら嬉しいです。

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