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※技術的な問題でスマホ版HPでは
読みにくい点もあるかもしれません。申し訳ありません。
ループしている。俺は今、同じ時間を繰り返している。
手の中のスマートホンから、大袈裟なファンファーレが流れた。
ゲーム内のキャラクターが、剣を掲げ、モンスターの討伐に成功したことを喜んでいる。
顔をあげると、目の前のレジで、せわしなく動く店員が目に入った。大型ショッピングモール内にテナントとして入っているコーヒーショップは、日曜ということもあり、座席のほとんどが埋まっている。
薄手のジャケットの袖をめくり、腕時計を確認する。二本の針は十三時十八分を示している。
ついさっきも、俺はここにいた。
数分前という意味ではない。さっき立っていた時も、時計の針は十三時十八分を指していた。数年前に、初めてもらったボーナスを使って買った、それなりに高価な腕時計だ。壊れているわけではない。
俺は呟く。
「お待たせしました。温かいホットコーヒーです……」
すると、レジの女性店員がカウンターの端へとやって来て、持ち帰り用のカップをこちらに差し出した。
「お待たせしました。温かいホットコーヒーです!」
すぐに「あ、ホットコーヒーは普通、温かいですよね」と彼女は照れ笑いしたが、俺は無視して指摘する。
「それ、中身、違いませんか?」
女性店員は首を傾げながら、カップの蓋を開ける。俺の指摘通り、中に入っていたのはコーヒーではなく、透き通った紅茶だった。
「ほんとだすいません。これ別のお客さんのでした!」
謝った後で、女性店員が「よく気が付きましたね」と尋ねてくる。
気が付いたのではない。俺は知っていたのだ。
間違いない。俺は、今、同じ時間を繰り返している。
だとするならば――。
カップを受け取らずに、店を飛び出る。
小太りの男性が子供を抱きあげ、全力疾走している俺に道を作った。責めるような視線を向けてくるが、無視をする。
テナントに入っているアウトドア用品店とスポーツショップを通り過ぎ、ガラスの柵に腹をぶつけて止まる。眼下に広がるのは、ショッピングモールの中央広場だ。
天窓からの白い光を受けた床が、広場を行きかう客たちを反射している。その中で、俺の視線は、一人の女性に吸着する。
「美加!」
三階から叫んだ俺の声は、美加には届かない。
彼女は広場に建つ柱に寄りかかり、俺を待っている。
その手には、紳士服店の紙袋が握られていた。その中に、ネクタイが入っていることを、俺は既に知っている。
別行動をとっている間に、彼女が買った俺へのプレゼントだ。
「美加ぁ!」
もう一度、思い切り叫ぶ。今度は、美加を含めた広場中の人間が、俺に気がついた。
「美加! 逃げろ!」
「お客さん、どうかなさいましたか?」
近場にいた雑貨屋の店員が、こちらへ歩み寄ってくる。その途中、目くばせをして、別の店員を店の裏へと行かせた。
「奥に電話があるのか?」
「え、いや、別に……」
「あるなら電話してくれ! 今すぐ! 警備員か、警察を呼ぶんだ!」
「それは、まぁ、呼びましたけど、いいんですか?」
「いや、ここにじゃなくて、下に……。あぁ、もういい!」
店員の対応が、亀のように愚鈍に思えた。このやりとりの間にも、走ってくることで生み出した時間を、俺は浪費しているのだ。
店員から離れて、また一階へ身を乗り出す。美加はまだ不思議そうにこちらを見上げたままだ。
「美加! 横を見てくれ! 左! 左だ!」
彼女から5メートル程離れた場所には、休憩用のベンチがある。座っているのは、灰色のジャージを着た中年の男だ。
必死にその男を指差すが、距離のせいで、こちらの声は、はっきりと届いていないようだった。
「その男から離れろ! 今すぐ!」
いても立ってもいられず、俺は駆け出す。
下の階へと繋がるエスカレータへ飛び乗り、客を押しのけて下を目指す。
二階まで降りてきたところで、美加に向かって俺はまた叫ぶ。
「後ろの男を見るんだ!」
距離を縮めたことで、俺の声がはっきりと聞き取れたらしい。美加がようやく、後ろのベンチを振り返る。
しかし、灰色ジャージの男はすでに、背負っていたゴルフバッグを足元に寝かせていた。ファスナーを滑らせるように開け、手入れされていない無精ひげをなでてから、バッグの中へと手を突っ込んだ。
「銃だ! その男は、銃を持ってるぞ!」
“銃”という物騒な単語に、まわりの客が何事かと警戒を始めた。しかし、非現実的なその言葉に、美加を含めた全員が、具体的な行動をとりはしない。
「美加ぁ! 逃げろ!」
自分の出した大声が原因となって、頭の中に耳鳴りが満ちた。
男が立ち上がる。その手には、バット程の長さがある猟銃。
二本の筒が水平に連なり、木製の持ち手は、黒く、くすんでいる。
「やめろ!」
俺の叫びと同時に、乾いた爆発音が広場にこだまする。
美加の体が、宙を舞った。
一瞬滞空した後、人形のように、どさりと床へと落ちる。
「あぁ……」
全身から力が抜けて、その場にへたり込む。
「あぁ、美加……やっぱり……」
彼女の胸に、赤い水玉が浮かび上がる。それはじわじわと大きくなり、やがて彼女の胴全てを赤に染めた。
「ちくしょう……」
二回目の銃声が響いて、今度は近くにいた中年男性が吹き飛ぶ。
状況を理解した女子高生が、まず悲鳴を上げた。その悲鳴が警報代わりとなり、危険を周囲に知らせる。悲鳴は一瞬で連鎖し“日曜日の午後”というありきたりな空間を地獄に変えた。
男はそんな状況に動じることなく、猟銃から二つの空薬きょうを吐き出させ、新しい弾をポケットから取り出した。
淡々と装填を行う奴の表情は、喜怒哀楽のどれでもなかった。ただ、無。自分が何をやっているのかも把握していないような危うさがあった。
なんの意味もないと知りつつ、俺はエスカレーターを降りていく。
「ちくしょう……頼む、頼むから……」
ぴくりとも動かない妻の美加を眺めながら、神に懇願する。
「頼む……! もう一度……!」
二階へ逃げてくる客とぶつかり、俺は後ろへと押し戻された。
手の中のスマートホンから、大袈裟なファンファーレが流れた。
目に映っているのは、スマートホンの画面と、コーヒーショップのレジカウンター。
すぐさま時計を見る。時刻は十三時十八分だ。
「お待たせしました。温かいホットコーヒーです」
レジカウンターの中から、女性店員が俺へ呼びかける。返事をする前に、視界がぐにゃりと歪んだ。
その場にへたり込み、思わず胃袋の中のものを、吐き出してしまう。
「お客様……? 大丈夫ですか?」
戸惑う店員と、顔をしかめる他の客をよそに、俺は床に突っ伏したまま呟く。
「戻って来た。また、戻って来た。やっぱり、繰り返してる――」
超常現象なのか、神のいたずらなのか、はたまた宇宙人がハイテクノロジーで遊んでいるのか。このループ現象の原因など、中小企業の営業マンの俺に、分かるはずがなかった。
ただ、一人の男の顔が、頭をよぎった。
数ヶ月前、飲み屋街の路地裏で、その男は俺に話しかけてきた。
〈あの、すいません……〉
大学の野球部時代の友人と、たらふく飲んだ後だった。アルコールによって、頭がふわふわと浮いているような感覚の中で、その男の声は、ぼんやりと響いた。
〈突然なんですが、あなたにお伝えしたいことがあって参りました〉
着ているスーツの中に、もう一人入れてしまいそうな程に痩せた男は、義務感を隠さずに端的に説明を続けた。
〈あなたは、この度、神様が企画したキャンペーンに当選いたしました。おめでとうございます〉
男がけだるげに拍手をする。
〈神様? キャンペーン?〉
〈はい。その通りです。あなたは、神様が用意した不思議な力をプレゼントすることになりました〉
せき込んでから、男は続ける。
〈あなたが大きな悲劇に襲われた時、その悲劇を、なかったことにできる力が与えられるでしょう〉
〈新手の宗教か? 興味ないから帰ってくれ〉
やせぎすの男は、細い唇をゆがめて笑う。
〈まぁ、その時が来たらイヤでもわかりますよ〉
彼は俺に一礼し、その場を離れようとした。しかし、ふらふらと数歩、歩いたところで、またこちらに向き直る。
〈あぁ、そうだ。言い忘れていましたが、あなたが得るのは、五等の賞品です〉
骨張った指を五本伸ばしながら、男は説明を続けた。
〈あくまで五等なので、あなたの力には、制限があります。好きなだけ、自由に使える、万能な力、とはいかず、窮屈な思いをするでしょう〉
〈なんだそりゃ、けちくさい神様だな〉
どうせデタラメを言うなら、もっと大袈裟にすればいいのものを。
〈何事にも、ルールと制限というものがあるのです。神様といえど、限られたリソースの中で、あなたの力を作って、プレゼントしているのですから〉
納期や材料不足にあえぐ神様を思い浮かべて、奇妙な親近感を覚える。
〈でも、あなたが、力の限界、ルール、条件を把握して、力を使えばいいだけの話ですよ。あなたが無事、悲劇を修正できることを願っています〉
男は五回ほど連続で咳き込んでから〈では、次の仕事がありますので〉と言い残し、夜の町に消えていった。
「まさか、これが……?」
神様など、信じていなかった。やせぎすの男にされた話も、この瞬間まで忘れていた。しかし、今俺が置かれている状況は、他に説明のしようがなかった。
「とに、かく……!」
今の俺に、不思議な現象の原因などは、どうでもよいのだ。
俺にとって大事なのは、自分が同じ時間を繰り返している。という事実だけだ。
繰り返しているので”過去”と呼ぶのが適切かどうかは分からないが、とにかく、今までに繰り返した”十三時十八分”を頭の中で整理する。
俺はすでに、六回、ループを重ねている。
一回目は、ゲーム内で、モンスターの討伐に成功したことを素直に喜んだ。
限られた攻撃回数で倒さなくてはならないという手ごわいモンスターで、ここ数日苦戦していただけに、クリアした時には達成感すらあった。
その後で、女性店員に渡されたホットコーヒーを受け取ってから、美加との集合場所である広場へ向かった。
歩きながらカップに口をつけた時、中身が間違っていることを知った。わざわざ引き返すよりは、紅茶が好物である美加に渡せばいいだろう、と思い至り、そのまま広場へ続くエスカレーターに乗り込んだ。
そして、二階へと降りていく最中、柱に寄りかかる美加を見つけた。急ぐ用があったわけでもなかった俺は、ただ漫然と足元のステップが一階に到着するのを待っていた。
銃声が鳴ったのはその時だ。
始めは、それが銃声ということにも気が付かなかった。どこかで風船でも割れたのだろうと思いながら、一階の広場に降り立った。
そうしてから「あれ、誰かが倒れているぞ」と気がつき、それを美加と認識するまでに、三秒ほどの時間を必要とした。
「美加⁉」
状況を把握しきれないまま、とにかく彼女に駆け寄り、彼女の胴に空いた穴から、血が湧き出すのを必死に塞いだ。しかし、猟銃から放たれた散弾によって、うがたれた無数の穴は、二本の腕では塞ぎきれなかった。
その途中、美加が「あれ……」と、か細い声を漏らした。自らの状態を知ってか知らずか、彼女は傍らに落とした紳士服店の紙袋を指差した。
「ネク、タイ……。あなた、への、プレゼント……」
逃げ出した他の客によって踏み潰され、紙袋の中から、青色のネクタイがはみ出していた。
先日、テレビのニュースに出ていたメジャーリーガーがしていたネクタイと同じ柄だった。俺が「こういうシックな柄が似合う男になりたい」と漏らしたのを、彼女は覚えていたのだ。
「美加……」
口の端で血の泡が弾け、美加の体から力が抜けた。だらりと動かない姿を見て、彼女から、命と呼ばれる“芯”が抜けたことを直感で理解した。
それでも俺は、美加の体を引きずりながら、広場を離れた。
「誰か! 救急車を! 妻なんだ!」
俺の叫びは、あたりの悲鳴と絶叫にかき消された。
広場の横のドラッグストアへと妻を引きずったところで、初めてループが起きた。
二回目は、ほとんどの時間をコーヒーショップの中で過ごした。
今のは夢だったのだろうか?
それとも俺の頭がおかしくなったのか?
そんなことを自問しているうちに、遠くからショッピングモール内を反響し、薄くなった銃声が届いた。
「そんな馬鹿な……」と足元が定まらないまま広場まで移動し、俺は事切れた美加を見つけた。
三回目は、二回目とほとんど同じだった。強いてあげれば、自分の置かれた状況を把握するのに精一杯で、店員の呼びかけを無視したことくらいが違いだった。
四回目でやっと、銃を乱射したのが、ベンチに座っていた灰色ジャージの男であることを確認した。同時に、これは夢なんだと自分に言い聞かせて頬をつねったが、痛みはしっかりとあった。
五回目で、時間がループしているのではないかと疑念を持ち始めた。あたりの人間に尋ねてみるが、ループを認識しているのは僕だけのようだった。
そして、六回目、俺は店員のミスを指摘し、妻の元に走り「逃げろ」と叫んだ。
しかし、妻は撃たれた。
そうして迎えた今。七回目の十三時十八分。
息切れすらしていない体に戻って来たにも関わらず、俺は嘔吐した。肉体ではなく、精神がそうさせたのだと思う。
心配し声をかけてくる店員を無視して、俺は再度広場へ向かって駆け出す。
幻覚を見ていると言われたほうが、まだ説得力があった。
ただ、血に染まる妻を見るたびに感じる、心臓が引き裂かれるような痛みだけは、まぎれもなく本物だった。それが現実であり、行動理由は、それだけで十分だった。
守らなくては、助けなくては――。
「きゃあぁぁぁ!」
まだスポーツショップの前だと言うのに、銃声と、それに伴った悲鳴が聞こえてきた。
嘔吐や思考で時間を取られていたせいだ。時計を見ると、長い針は既に二十分を指している。
柵から身を乗り出して、広場を見下ろす。美加が、広場に横たわっていた。
手遅れだと自覚しつつも、いても立ってもいられず一階を目指す。
「逃げて! 上!」
「上がって! 上がってぇ!」
パニックから逃げ出そうとする人間が逆流して、下りエスカレーターに乗り込むことすら容易ではなかった。手すりにつかまるが、何度も押し戻された。
一階の様子を伺うと、灰色ジャージの男は、数人の警備員に取り押さえられていた。
「何人も撃たれた! 警察と、応援を! こいつ、何か、クスリをやってるらしい!」
大粒の汗をかきながら男を押さえつけている警備員が、無線で助けを呼んでいる。
初めて男の顔をじっくりと観察する。
男の目はうつろで、焦点は合っていない。歯はところどころ抜けていて「悪魔をほろぼす」だの「俺は選ばれた人間だ」などと、意味不明なことを口にしていた。
前回、俺がどんなに叫んでも、男が無反応だったことも頷ける。奴も、自分だけの世界に浸っているのだ。
警備員と犯人以外、誰もいなくなった一階に降り立つ。
「きっと、次があるから……。次は、すぐにお前のところに行くから!」
美加の体に、そう約束した。
手の中のスマートホンから、大袈裟なファンファーレが流れた。
「お待たせしま――」
今度は、すぐに走り出す。入れ替わりでコーヒーショップに入ってきた男性とぶつかったが、立ち止まらない。
さっきと同じ轍は踏まない。あの男が引き金を引く前に、広場に辿り着く――。
上から声をかけるのも時間の無駄だ。この後に起きる惨劇を知っているのは、俺だけなのだから。
全速力で走る。アウトドア用品店とスポーツショップの横を抜け、目の前に立ち止まっていた高校生を突き飛ばして直進した。
「どいて! どいて! どけ!」
エスカレーターを駆け下りる。必死の形相の俺に、他の客は道を譲った。
「美加!」
最後の数段を飛ばして、一階へと降り立つ。美加の後ろの男を確認すると、まだ奴は、ゴルフバッグを背負ったままだった。
「間に合った……!」
奴の動きは緩慢だ。ここからゴルフバッグを下ろし、銃を取り出すまでに数十秒は確実に残っている。それだけあれば、美加を連れて避難することができる。
「美加!」
口元が緩む。達成感と共に、俺は彼女に手を伸ばした。
手の中のスマートホンから、大袈裟なファンファーレが流れた。
「お待たせしました。温かいホットコーヒーです」
カフェオレをホットコーヒーだと思い込んだ女性店員が、俺に呼びかける。
「なんで……」
時計を見る。十三時十八分だ。
「間に合ったじゃねぇか! なんで!」