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※技術的な問題でスマホ版HPでは
読みにくい点もあるかもしれません。申し訳ありません。
男が銃を撃つ前に、俺は美加の元に辿りついた。あのまま続けていたら、確実に美加を助けられたはずだ。にも関わらず、その寸前で、時間は元に戻ってしまった。
「どうなってんだよ!」
寄りかかっていた壁を殴りつけると、店内が静まった。
ダメだ、イラついてる暇なんてない。美加の元に行かないと。いや、でも、もうすでに数十秒の時間をロスしてる――。
今回は諦めるしか……。
そんな頭のおかしい発想がよぎった時、ふと自分が手に持っているスマートホンの存在を思い出す。
「そうだ……。そうだ!」
俺自身があの場に行く必要はない。妻が逃げてくれさえすればいいのだ。なぜこんな簡単なことに今まで気が付かなかったのだろうか。
ゲームアプリを閉じて、着信履歴の一番上にある妻の番号にリダイアルする。
接続までの時間が、まるで永遠のように感じられた。しかし、自分が走って向かうより、よっぽど早いはずだ。
スピーカーから、呼び出し音が流れる。
しかし、そこからが長かった。鞄の中のスマートホンを見失っているのか、着信に気が付いていないのか、コール音が美加の声に変わったのは、三十秒ほどしてからだった。
『はい、もしもし?』
いつも通りの声に、心が揺さぶられる。まるで、十年ぶりに彼女の声を聴くような感覚があった。
「美加! 逃げろ!」
『は? 何言ってるの? 今、あなたどこに……』
「いいから! 頼むから! そこから逃げてくれ! どこでもいいから、広場から離れるんだ!」
『どうしたの、突然、何かあったの?』
「あったんじゃない! これから起こるんだ!」
これから起こる悲劇を知らない美加の鈍感さに、イライラが募る。
「いいか! 広場の角! 灰色のジャージを着てる男が、銃を持ってるんだ!」
『男の人? 何言ってるの? あなたそばにいるの?』
「いいから! とにかくその場から離れるんだ!」
『なによ。乱暴に。ほんとに何があったわけ?』
美加の声のトーンが、真剣なものに変わる。
「三階のコーヒーショップがあるだろ? そこに来てくれ! 今すぐに!」
美加は一瞬黙った後で『あとで説明してよね』と答えた。続いて電話の向こうからは、移動を始めた美加の衣擦れの音が聞こえてきた。
「よかった。ありがとう。ありがとう……!」
『なによ、そんな袈裟な……』
美加の笑い声が途中で途切れる。
「美加?」
『あれ、あの人……』
「ダメだ! 止まるな! いいから、早くこっちに……」
広場と、スマートホンのスピーカーから、ほぼ同時に銃声が響いた。
「美加! 美加! 答えてくれ! 美加!」
電話の向こうから、がちゃがちゃと音がして、通話が途切れた。
美加のスマートホンが落ちて壊れたのかもしれないし、散弾のうちの一つがスマートホンに当たったのかもしれない。どちらにしろ、美加の声は全く聞こえてこなかった。
「くそ……、くそ! また間に合わなかった!」
しばらくしてから、広場から大勢の人間が走ってきた。
その中の一人が、コーヒーショップの店内へ呼びかける。
「逃げろ! やばいぞ! 向こうで! 男が銃を撃ってるらしい! とにかく外に!」
異常事態を察した店内の客たちも、慌てて飲みかけのコーヒーを放置して逃げ出した。広場から流れてくる人波に混ざって、外へと出ようとしている。
「おい! あんた! 何やってる!」
店内に異常を知らせにきた体格のいい男性が、へたりこむ俺の肩を掴む。
「逃げないと! むこうで銃を持った男が暴れてるんだ」
そんなこと、百も承知だった。俺は見て来たのだ。その瞬間を。何度も。
男性に無理やり引きずられながら、俺は頭をフル回転させていた。
「電話は悪くない。次は、もっと端的に。冷静に。そうすれば、次は、きっと、きっと!」
「あんた、何を言ってんだ」
広場の反対側に設置されたエレベーターの前には、三階にいた全ての客が集まっていた。
「降りて! エレベーターが閉まらないわ!」
「私も乗せてよ!」
「おいおい、こんな時に……」
俺を引っ張ってきた男性が舌打ちをした時、広場のほうから一人の警備員が走ってきた。
「みなさん! 落ち着いてください! 犯人は取り押さえられました!」
警備員が何度も繰り返すと、隣の男性も群衆に声をかけた。
「おい! 大丈夫になったってよ! 暴れてた男は捕まったって!」
不規則で乱暴な伝言ゲームが重なり、やがて、集団全体にその情報は伝わった。数人の子供が泣いているだけで、ほとんどの人間が、警備員の話に耳を傾け始める。
「犯人は取り押さえられました。ご安心ください! ただ怪我人もいるらしいので、広場のほうへは行かないでください! ただ今、警察と救急を待っているところですので、お客様のみなさんは、あちらの非常階段から避難を……」
ぞくりと、背筋に悪寒が走る。
「待て、おかしい……なんで……」
男が取り抑えられ、警備員が三階まで来て、客のパニックを収束させている。
「あ? どうした、あんちゃん。顔色悪いぞ」
隣の男性を無視して時計を見ると、すでにループしてから十分以上が経過していた。
「なんで……」
時間が経ちすぎている。
「なんでループしないんだ!」
「おい、あんちゃん、だからもうあせらなくても……」
男性を突き飛ばして、広場へと向かう。
「なんでループしない! しろよ! 神様! どうなってるんだ!」
まさか、これが最後? 今のがラストチャンスだったと言うのか――。
「美加!」
手の中のスマートホンから、大袈裟なファンファーレが流れた。
「お待たせしました。温かいホットコーヒー……。あの……お客様?」
まるで数分間呼吸を忘れていたかのように、大きく息を吸い込む。
「戻った……」
安堵で、全身から力が抜ける。
「よかった。戻った。ループした!」
もし仮に、あのまま時間が進んでいたらと思うとぞっとする。俺と対面すらできずに、美加はあの世に旅立っていたことになる。
「なんだよ! どうなってるんだよ! ちくしょう!」
映像作品に興味がない俺も、主人公が同じ時間をループするという映画やドラマは見たことがある。一日や、夏休みや、一年間を繰り返すといったように、そのほとんどは一定の期間や時間が制限時間のようになっていた。
しかし、今俺が直面している現象はなんなのだろうか。必死に急いで、美加の元に辿りついた時は、助ける前にループした。そして、前回は、十分以上もループしなかった。
「どうなってんだ……? なんでループしたり、しなかったりすんだよ」
やせぎすの男の声がまた響く。
――あなたの力には、制限があります。好きなだけ、自由に使える、万能な力、とはいかず、窮屈な思いをするでしょう
「制限? 窮屈?」
俺が今直面している現象には、なんらかのルールがあるということだろうか。
しかし、頭を回転させても、思考は同じところを回るばかりで、まったく発展しなかった。
「くそ、とにかく、とにかく、美加のところに行かないと……」
頭の代わりに、足を動かす。広場に向かって、また走り出す。
「ちくしょう! どうなってんだよ! 誰か教えてくれ!」
クリアできない壊れたゲームを何度もロードするように、俺は繰り返しショッピングモールの中を走った。
十回目。俺は警備員室に駆け込んだ。無線で広場の警備員に男を調べるように訴えたが、信じてもらえなかった。自分が捕まりそうになったところで、ループした。
十一回目。再度電話を試みるが、冷静に移動を呼びかけても、間に合わなかった。
十四回目。広場の近くへ降りるエレベーターを使った。しかし、時間は短縮するどころか余計にかかり、ドアが開いた瞬間、広場は血と悲鳴に包まれていた。すでに息絶えた美加に駆け寄る代わりに、男を何十回と蹴飛ばしてる時にループした。
十九回目。走っている途中で、エスカレーターで躓き転がり落ちた。足首を捻ったが、最後に美加と言葉を交わすことはできた。ネクタイを付けてみようかと手を伸ばしたところでループ。
二十八回目。渡されたカフェオレをあえて掴んで走り出し、真上から男に向かって投げつけた。
しかし、男の座っているベンチは、二階の通路が陰になっていて、直接当てることは不可能に近かった。それから数回、物や角度を調節して、投擲による男への攻撃を試したが、うまくいかなかった。
多分五十二回目。ひたすら、ループの規則性について考えた。
なぜ、いつループが起きるのか。しかし、限られた時間の中では思考はまとまらず、またおせっかいな男性に引っ張られてショッピングモールの端へと移動したところで、ループした。
七十回台。周りにいる人間を観察することに費やす。コーヒーショップの店内、広場、すれ違う人物。周りに俺と同じようにループしている人間がいないか、探しながら歩いた。しかし、怪しい人物すら一人として見つけることはできなかった。
八十回目前後。おせっかいな男性に思考を邪魔されたことに激情し、思わず殴りかかってしまった。まわりの店員や警備員に抑え込まれて、男の共犯かと疑われたところでループ。
おそらく九十回目。結婚を機にやめていたタバコを吸った。
約百回目。最初のように、最短で美加の元に向かえるように走った。
しかし、また彼女に触れる直前でループしてしまった。
「どう、なってんだ……。あぁ、くそ、ちくしょう……」
今が何回目か、もう分からない。
広場に向かおうとするものの、足は思うように動かなかった。乳酸がたまっているわけではない。心の疲弊が、足を掴んでいるのだ。
何度も同じ時間を繰り返しても、得られるのは精神の疲労だけ。
美加を救うこともできず、ループのきっかけすら分からない。
もしかしたら、今俺がいるのは地獄なのかもしれない。
半ば本気でそう思った。
美加と一緒に、俺もあの男に撃たれていて死んでいるのだ。そして、これは、死んだ俺に対する罰。何度も妻の死を体験させられるという、罰。
もし、そうならば、美加が助けられないことにも説明が付く。
馬鹿な妄想に、乾いた笑いが零れる。
「あぁ、無理なのか……」
広場を見下ろせる柵まで来たところで、体から完全に力が抜けた。
「夢なら、冷めてくれ……」
前回、撃たれる美加を見ても、何も感じなかった。妻の死を見る度に、自分の心の一欠片が崩れ落ちていく。
「あぁ……」
男が、ゴルフバッグのファスナーに手を伸ばした。
ふと、隣にあるスポーツショップの棚を、あいつに落とすことができないかと考える。この大きさなら騒ぎになるから、警備員も駆けつけてくれる。
しかし、試す気力も残っていなかった。おそらく棚をここまで運んで落とす途中で、他人に邪魔される。一人の力で、持ち運べるのかすらも分からない。
「お前のせいだぞ……」
男に向かって呟く。
「全部、お前のせいだ……!」
怒りと、狂気と、そして、諦めが、俺を突き動かした。
柵に足をかけ、跨ぐ。
後ろで、数人が俺を呼び止めていたが、振り返りはしない。
「棚は無理でも、俺なら……そうだ。これなら……」
こんな妙案が思いついたのは、何回目以来だろうか。いや、初めてだ。
俺が落ちればいい――。
人間が落ちれば、騒ぎになって、男も犯行をやめるかもしれない。なにより、これが一番早く一階へ行ける方法だ。
ロープが、向こうのキャンプ用品店にあった気がする。いや、いい。それは――。
「次に試そう――」
空へと、倒れ込む。
ほんの二、三秒だった。空気を裂きながら落下した俺の体は、男から三メートル程離れた床へと激突した。
最初は、足に骨が破裂するような感覚が走った。続いて、手、胸、頭の順で床にたたきつけられたが、視界に電気が走っただけで、痛みはなぜかなかった。
「きゃあぁ!」
女性の悲鳴が広場に広がった。
「人が落ちた! 人が落ちたぞ!」
男が銃を乱射した時ほどではないが、広場にパニックが広がり始めた。
「お?」
間抜けな声と共に、灰色のジャージを着た男が、こちらを見た。初めて、奴と目があった。
「どうだ。これは……、流石に、びっくり、したろ……」
手ごたえを感じた。男が、初めて動揺している。これが、惨劇を回避する方法だったのかもしれない。
自らの命を捧げること。これが悲劇をなかったことにするための、条件だったのかもしれない――。
「あなた!」
透き通った、しかし、切羽詰まった声が、広場に響く。
美加が、僕の元へと駆け寄ってきた。
「ダ、メ、……」
息ができない。彼女を止めたいのに、声がでない。
「あなた! なんで! 誰か! 救急車を!」
美加が、手に持った自分のスマートホンの存在を忘れて、周りに助けを求める。俺の変な方向に曲がった足を見て、声を震わせている。
「に、げ……」
美加が、灰色ジャージの男に救急車を呼んでくれと懇願した。それを受けて、男は思い出したかのように、ゴルフバッグのファスナーを開け、猟銃を取り出す。
「おい、やめろ……」
騒ぎの中、視線は俺に集まるばかりで、誰も男をみていない。
「お願いします! どなたか、救急車を――!」
「やめろぉ!」
俺に覆いかぶさるように叫んでいた美加が、銃声と共に吹き飛んだ。
「あぁ……」
俺は、美加の吹き飛んだ方向に首を動かすことすらできなかった。
「あぁ、あぁああぁぁあぁ!」
口の中に、美加の血の飛沫が入ったのが分かった。
「次、早く! もう一度だ! ループを! リセットを!」
――ピーンポーン。
音が鳴る。しかし、それはループを告げる、あのゲームの中の音ではない。館内放送のチャイムだった。
『ただいま、中央広場で、男性が暴れています。お客様は、西、及び東側の非常階段を使って、速やかに避難してください。繰り返します』
いつの間にか、警備員たちが男を取り押さえている。そのうちの一人が、俺の元へと歩いてきた。
「おい、あんた。大丈夫か? あんたも撃たれたのか?」
答えようにも、もう口は動かなかった。
動かない体を諦め、ただ漫然と目の前の景色を眺めているうちに、今度は、白い制服に身を包んだ、救急隊が現れた。
「答えられますかー? 名前言えますかー?」
――今回は、いやに長いな。おかしいぞ。
「向こうの女性はもう間に合わない。この人を先に運ぶんだ!」
数人が声を合わせて、俺を担架の上に乗せた。運び出され、俺はショッピングモールの外へと出た。
待ってくれ、もうすぐ、ループするはずなんだ。俺を連れ出さないでくれ。この建物に、不思議な力があるのかもしれない。俺をここに置いておいてくれ!
必死に頭の中で叫ぶが、救急隊のゴーグルに映った俺の顔は、だらしなく弛緩したままだった。