top of page

​2/3

※技術的な問題でスマホ版HPでは
 読みにくい点もあるかもしれません​。申し訳ありません。

 男が銃を撃つ前に、俺は美加の元に辿りついた。あのまま続けていたら、確実に美加を助けられたはずだ。にも関わらず、その寸前で、時間は元に戻ってしまった。

「どうなってんだよ!」

 寄りかかっていた壁を殴りつけると、店内が静まった。

 ダメだ、イラついてる暇なんてない。美加の元に行かないと。いや、でも、もうすでに数十秒の時間をロスしてる――。

 今回は諦めるしか……。

 そんな頭のおかしい発想がよぎった時、ふと自分が手に持っているスマートホンの存在を思い出す。

「そうだ……。そうだ!」

 俺自身があの場に行く必要はない。妻が逃げてくれさえすればいいのだ。なぜこんな簡単なことに今まで気が付かなかったのだろうか。

 ゲームアプリを閉じて、着信履歴の一番上にある妻の番号にリダイアルする。

 接続までの時間が、まるで永遠のように感じられた。しかし、自分が走って向かうより、よっぽど早いはずだ。

 スピーカーから、呼び出し音が流れる。

 しかし、そこからが長かった。鞄の中のスマートホンを見失っているのか、着信に気が付いていないのか、コール音が美加の声に変わったのは、三十秒ほどしてからだった。

『はい、もしもし?』

 いつも通りの声に、心が揺さぶられる。まるで、十年ぶりに彼女の声を聴くような感覚があった。

「美加! 逃げろ!」

『は? 何言ってるの? 今、あなたどこに……』

「いいから! 頼むから! そこから逃げてくれ! どこでもいいから、広場から離れるんだ!」

『どうしたの、突然、何かあったの?』

「あったんじゃない! これから起こるんだ!」

 これから起こる悲劇を知らない美加の鈍感さに、イライラが募る。

「いいか! 広場の角! 灰色のジャージを着てる男が、銃を持ってるんだ!」

『男の人? 何言ってるの? あなたそばにいるの?』

「いいから! とにかくその場から離れるんだ!」

『なによ。乱暴に。ほんとに何があったわけ?』

 美加の声のトーンが、真剣なものに変わる。

「三階のコーヒーショップがあるだろ? そこに来てくれ! 今すぐに!」

 美加は一瞬黙った後で『あとで説明してよね』と答えた。続いて電話の向こうからは、移動を始めた美加の衣擦れの音が聞こえてきた。

「よかった。ありがとう。ありがとう……!」

『なによ、そんな袈裟な……』

 美加の笑い声が途中で途切れる。

「美加?」

『あれ、あの人……』

「ダメだ! 止まるな! いいから、早くこっちに……」

 広場と、スマートホンのスピーカーから、ほぼ同時に銃声が響いた。

「美加! 美加! 答えてくれ! 美加!」

 電話の向こうから、がちゃがちゃと音がして、通話が途切れた。

 美加のスマートホンが落ちて壊れたのかもしれないし、散弾のうちの一つがスマートホンに当たったのかもしれない。どちらにしろ、美加の声は全く聞こえてこなかった。

「くそ……、くそ! また間に合わなかった!」

 しばらくしてから、広場から大勢の人間が走ってきた。

 その中の一人が、コーヒーショップの店内へ呼びかける。

「逃げろ! やばいぞ! 向こうで! 男が銃を撃ってるらしい! とにかく外に!」

 異常事態を察した店内の客たちも、慌てて飲みかけのコーヒーを放置して逃げ出した。広場から流れてくる人波に混ざって、外へと出ようとしている。

「おい! あんた! 何やってる!」

 店内に異常を知らせにきた体格のいい男性が、へたりこむ俺の肩を掴む。

「逃げないと! むこうで銃を持った男が暴れてるんだ」

 そんなこと、百も承知だった。俺は見て来たのだ。その瞬間を。何度も。

 男性に無理やり引きずられながら、俺は頭をフル回転させていた。

「電話は悪くない。次は、もっと端的に。冷静に。そうすれば、次は、きっと、きっと!」

「あんた、何を言ってんだ」

 広場の反対側に設置されたエレベーターの前には、三階にいた全ての客が集まっていた。

「降りて! エレベーターが閉まらないわ!」

「私も乗せてよ!」

「おいおい、こんな時に……」

 俺を引っ張ってきた男性が舌打ちをした時、広場のほうから一人の警備員が走ってきた。

「みなさん! 落ち着いてください! 犯人は取り押さえられました!」

 警備員が何度も繰り返すと、隣の男性も群衆に声をかけた。

「おい! 大丈夫になったってよ! 暴れてた男は捕まったって!」

 不規則で乱暴な伝言ゲームが重なり、やがて、集団全体にその情報は伝わった。数人の子供が泣いているだけで、ほとんどの人間が、警備員の話に耳を傾け始める。

「犯人は取り押さえられました。ご安心ください! ただ怪我人もいるらしいので、広場のほうへは行かないでください! ただ今、警察と救急を待っているところですので、お客様のみなさんは、あちらの非常階段から避難を……」

 ぞくりと、背筋に悪寒が走る。

「待て、おかしい……なんで……」

 男が取り抑えられ、警備員が三階まで来て、客のパニックを収束させている。

「あ? どうした、あんちゃん。顔色悪いぞ」

 隣の男性を無視して時計を見ると、すでにループしてから十分以上が経過していた。

「なんで……」

 時間が経ちすぎている。

「なんでループしないんだ!」

「おい、あんちゃん、だからもうあせらなくても……」

 男性を突き飛ばして、広場へと向かう。

「なんでループしない! しろよ! 神様! どうなってるんだ!」

 まさか、これが最後? 今のがラストチャンスだったと言うのか――。

「美加!」

 

 手の中のスマートホンから、大袈裟なファンファーレが流れた。

「お待たせしました。温かいホットコーヒー……。あの……お客様?」

 まるで数分間呼吸を忘れていたかのように、大きく息を吸い込む。

「戻った……」

 安堵で、全身から力が抜ける。

「よかった。戻った。ループした!」

 もし仮に、あのまま時間が進んでいたらと思うとぞっとする。俺と対面すらできずに、美加はあの世に旅立っていたことになる。

「なんだよ! どうなってるんだよ! ちくしょう!」

 映像作品に興味がない俺も、主人公が同じ時間をループするという映画やドラマは見たことがある。一日や、夏休みや、一年間を繰り返すといったように、そのほとんどは一定の期間や時間が制限時間のようになっていた。

 しかし、今俺が直面している現象はなんなのだろうか。必死に急いで、美加の元に辿りついた時は、助ける前にループした。そして、前回は、十分以上もループしなかった。

「どうなってんだ……? なんでループしたり、しなかったりすんだよ」

 やせぎすの男の声がまた響く。

 ――あなたの力には、制限があります。好きなだけ、自由に使える、万能な力、とはいかず、窮屈な思いをするでしょう

「制限? 窮屈?」

 俺が今直面している現象には、なんらかのルールがあるということだろうか。

 しかし、頭を回転させても、思考は同じところを回るばかりで、まったく発展しなかった。

「くそ、とにかく、とにかく、美加のところに行かないと……」

 頭の代わりに、足を動かす。広場に向かって、また走り出す。

「ちくしょう! どうなってんだよ! 誰か教えてくれ!」

 クリアできない壊れたゲームを何度もロードするように、俺は繰り返しショッピングモールの中を走った。

 

 十回目。俺は警備員室に駆け込んだ。無線で広場の警備員に男を調べるように訴えたが、信じてもらえなかった。自分が捕まりそうになったところで、ループした。

 十一回目。再度電話を試みるが、冷静に移動を呼びかけても、間に合わなかった。

 十四回目。広場の近くへ降りるエレベーターを使った。しかし、時間は短縮するどころか余計にかかり、ドアが開いた瞬間、広場は血と悲鳴に包まれていた。すでに息絶えた美加に駆け寄る代わりに、男を何十回と蹴飛ばしてる時にループした。

 十九回目。走っている途中で、エスカレーターで躓き転がり落ちた。足首を捻ったが、最後に美加と言葉を交わすことはできた。ネクタイを付けてみようかと手を伸ばしたところでループ。

 二十八回目。渡されたカフェオレをあえて掴んで走り出し、真上から男に向かって投げつけた。

 しかし、男の座っているベンチは、二階の通路が陰になっていて、直接当てることは不可能に近かった。それから数回、物や角度を調節して、投擲による男への攻撃を試したが、うまくいかなかった。

 多分五十二回目。ひたすら、ループの規則性について考えた。

 なぜ、いつループが起きるのか。しかし、限られた時間の中では思考はまとまらず、またおせっかいな男性に引っ張られてショッピングモールの端へと移動したところで、ループした。

 七十回台。周りにいる人間を観察することに費やす。コーヒーショップの店内、広場、すれ違う人物。周りに俺と同じようにループしている人間がいないか、探しながら歩いた。しかし、怪しい人物すら一人として見つけることはできなかった。

 八十回目前後。おせっかいな男性に思考を邪魔されたことに激情し、思わず殴りかかってしまった。まわりの店員や警備員に抑え込まれて、男の共犯かと疑われたところでループ。

 おそらく九十回目。結婚を機にやめていたタバコを吸った。

 約百回目。最初のように、最短で美加の元に向かえるように走った。

 しかし、また彼女に触れる直前でループしてしまった。

 

「どう、なってんだ……。あぁ、くそ、ちくしょう……」

 今が何回目か、もう分からない。

 広場に向かおうとするものの、足は思うように動かなかった。乳酸がたまっているわけではない。心の疲弊が、足を掴んでいるのだ。

 何度も同じ時間を繰り返しても、得られるのは精神の疲労だけ。

 美加を救うこともできず、ループのきっかけすら分からない。

 もしかしたら、今俺がいるのは地獄なのかもしれない。

 半ば本気でそう思った。

 美加と一緒に、俺もあの男に撃たれていて死んでいるのだ。そして、これは、死んだ俺に対する罰。何度も妻の死を体験させられるという、罰。

 もし、そうならば、美加が助けられないことにも説明が付く。

 馬鹿な妄想に、乾いた笑いが零れる。

「あぁ、無理なのか……」

 広場を見下ろせる柵まで来たところで、体から完全に力が抜けた。

「夢なら、冷めてくれ……」

 前回、撃たれる美加を見ても、何も感じなかった。妻の死を見る度に、自分の心の一欠片が崩れ落ちていく。

「あぁ……」

 男が、ゴルフバッグのファスナーに手を伸ばした。

 ふと、隣にあるスポーツショップの棚を、あいつに落とすことができないかと考える。この大きさなら騒ぎになるから、警備員も駆けつけてくれる。

 しかし、試す気力も残っていなかった。おそらく棚をここまで運んで落とす途中で、他人に邪魔される。一人の力で、持ち運べるのかすらも分からない。

「お前のせいだぞ……」

 男に向かって呟く。

「全部、お前のせいだ……!」

 怒りと、狂気と、そして、諦めが、俺を突き動かした。

 柵に足をかけ、跨ぐ。

 後ろで、数人が俺を呼び止めていたが、振り返りはしない。

「棚は無理でも、俺なら……そうだ。これなら……」

 こんな妙案が思いついたのは、何回目以来だろうか。いや、初めてだ。

 俺が落ちればいい――。

 人間が落ちれば、騒ぎになって、男も犯行をやめるかもしれない。なにより、これが一番早く一階へ行ける方法だ。

 ロープが、向こうのキャンプ用品店にあった気がする。いや、いい。それは――。

「次に試そう――」

 空へと、倒れ込む。

 ほんの二、三秒だった。空気を裂きながら落下した俺の体は、男から三メートル程離れた床へと激突した。

 最初は、足に骨が破裂するような感覚が走った。続いて、手、胸、頭の順で床にたたきつけられたが、視界に電気が走っただけで、痛みはなぜかなかった。

「きゃあぁ!」

 女性の悲鳴が広場に広がった。

「人が落ちた! 人が落ちたぞ!」

 男が銃を乱射した時ほどではないが、広場にパニックが広がり始めた。

「お?」

 間抜けな声と共に、灰色のジャージを着た男が、こちらを見た。初めて、奴と目があった。

「どうだ。これは……、流石に、びっくり、したろ……」

 手ごたえを感じた。男が、初めて動揺している。これが、惨劇を回避する方法だったのかもしれない。

 自らの命を捧げること。これが悲劇をなかったことにするための、条件だったのかもしれない――。

「あなた!」

 透き通った、しかし、切羽詰まった声が、広場に響く。

 美加が、僕の元へと駆け寄ってきた。

「ダ、メ、……」

 息ができない。彼女を止めたいのに、声がでない。

「あなた! なんで! 誰か! 救急車を!」

 美加が、手に持った自分のスマートホンの存在を忘れて、周りに助けを求める。俺の変な方向に曲がった足を見て、声を震わせている。

「に、げ……」

 美加が、灰色ジャージの男に救急車を呼んでくれと懇願した。それを受けて、男は思い出したかのように、ゴルフバッグのファスナーを開け、猟銃を取り出す。

「おい、やめろ……」

 騒ぎの中、視線は俺に集まるばかりで、誰も男をみていない。

「お願いします! どなたか、救急車を――!」

「やめろぉ!」

 俺に覆いかぶさるように叫んでいた美加が、銃声と共に吹き飛んだ。

「あぁ……」

 俺は、美加の吹き飛んだ方向に首を動かすことすらできなかった。

「あぁ、あぁああぁぁあぁ!」

 口の中に、美加の血の飛沫が入ったのが分かった。

「次、早く! もう一度だ! ループを! リセットを!」

 ――ピーンポーン。

 音が鳴る。しかし、それはループを告げる、あのゲームの中の音ではない。館内放送のチャイムだった。

『ただいま、中央広場で、男性が暴れています。お客様は、西、及び東側の非常階段を使って、速やかに避難してください。繰り返します』

 いつの間にか、警備員たちが男を取り押さえている。そのうちの一人が、俺の元へと歩いてきた。

「おい、あんた。大丈夫か? あんたも撃たれたのか?」

 答えようにも、もう口は動かなかった。

 動かない体を諦め、ただ漫然と目の前の景色を眺めているうちに、今度は、白い制服に身を包んだ、救急隊が現れた。

「答えられますかー? 名前言えますかー?」

 ――今回は、いやに長いな。おかしいぞ。

「向こうの女性はもう間に合わない。この人を先に運ぶんだ!」

 数人が声を合わせて、俺を担架の上に乗せた。運び出され、俺はショッピングモールの外へと出た。

 待ってくれ、もうすぐ、ループするはずなんだ。俺を連れ出さないでくれ。この建物に、不思議な力があるのかもしれない。俺をここに置いておいてくれ!

 必死に頭の中で叫ぶが、救急隊のゴーグルに映った俺の顔は、だらしなく弛緩したままだった。

※この作品は、商用利用や自作発言をしない限り、作品の雰囲気を尊重し、原作者名を表示していただけ ば漫画化、イラスト化、映像作品や演劇の原作としての使用などの二次利用OKです。

 楽しんでいただくと同時に、小川晴央という作家を知ってもらうきっかけになったら嬉しいです。

​ ご意見、ご感想などありましたら、こちらのメールフォームにお気軽にどうぞ。→メールフォーム

bottom of page