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※技術的な問題でスマホ版HPでは
読みにくい点もあるかもしれません。申し訳ありません。
次に目を覚ました時、ループはしていなかった。
あのコーヒーショップではなく、俺がいるのは、病室だった。
俺の元に来た医者や看護婦は、口々に「奇跡だ」「死んでいてもおかしくなかった」と口にした。
はっきりしない意識の中で、次の日、テレビニュースを見た。ワイドショーはショッピングモールで起きた惨劇を必死にむごたらしく説明していたが、それでも俺が体感したものには、遠く及ばなかった。
『死者五人。重軽傷者三十人。またパニックの中で、上階から落下した客も……』
と、アナウンサーが俺のことに触れた瞬間、病室に来た父親がテレビを消した。
二日ほどして、ようやく口が利けるようになった。その日まで何も話そうとすらしていなかったので、口が利けることに気が付いた。と表現したほうが正しい。
その日のうちに、警察を名乗る男たちが病室を訪れた。
「つらいでしょうが、奥さん以外にも、被害に遭った人は大勢います。事件の詳細を詳しく知りたいのです」
質問を無視していると、医者が警察の二人を廊下に連れ出した。
「彼は妻を失いました。彼自身も、もう二度の歩けないかもしれないという怪我を負っているんです。今は、そっとしておいてあげてください」
警官達を追い返しているのが、聞こえていたが、俺は別に、医者にお礼は言わなかった。
一週間後、やってきた警官に当たり障りのない説明をした。
「上から男が銃を妻に向けているのが見えて、思わず飛び降りた」
もちろん、ループのことなど話せるわけがなかった。
半月後、車いすに乗せられて病院の外へ出た。足を動かそうとしたが、つま先から太腿までを覆うギプスのせいで、まったく動かなかった。
そのまた半月後、美加の両親が尋ねてきた。早く体を直して、新しい人生を歩んでほしいと泣きながら頼まれた。それが美加の望みだろうと。
三か月後、ギプスは足首だけになったが、どの部分も、一ミリとして動かすことができなかった。
医者は立場上「必ず」とは言えないと前置きしてから、これから先の見立てを説明した。
「幸い脊髄に致命的な損傷はなく、各所の骨折も治って来ている。リハビリを重ねて神経を回復させれば、また歩けるようになるかもしれない」と力説したが、そもそも俺には足を動かしたいという欲求そのものがなかった。
次の月、家族にお願いして、ショッピングモールへ連れてってもらった。コーヒーショップにも入ってみたが、やはりループはしなかった。
看護師が話しかけてきたのは、その日の晩のことだった。彼女は、まだ新人らしさが残ったふくよかな女性だった。
「どうでしたか? 久しぶりの外出は? いい気分転換になったんじゃないですか?」
看護師は、俺が事件現場に出かけてきていたたことは、知らないようだった。知っていたら、感想など聞かないだろう。
「特には。ずっと座ってるだけでしたし」
「それは、リハビリさぼってるからですよー」
看護婦が、ベッドを跨ぐテーブルに夕食を乗せた。乗せられたトレーの端っこには、ほうれん草のおひたしが申し訳なさげに添えられている。
「妻がね……」
「はい」
「妻が、ほんれんそうのおひたしが好きだったんです」
確か、事件の日も、朝食の食卓には、ほうれん草が並んでいた気がする。
そうだ。思い出した。日曜日だから、二人して寝坊して、十時くらいに朝食をとったのだ。
「あの日は、結婚記念日だったんです」
看護師さんが配膳の手を止めた。俺の言う“あの日”が事件があった日のことを差していると悟ったからだろう。
「でも、俺はすっかりそんなこと忘れてて」
美加も、そんな素振りをまったく見せなかった。
「あのモールで、妻が別行動しようって言い出したのが、まさか俺へのプレゼントを選ぶ為だったなんて、全く思わなくて……。俺は手ぶらのまま、広場に」
もしかしたら、美加は、あのネクタイを俺に渡してから、「忘れてたでしょ? まぁ、期待はしてなかったけど」なんて皮肉の一つでも言うつもりだったのかもしれない。
涙が零れた。腕に巻いた包帯でそれを拭き取る。
「なんで、どうして、何度も、助けるチャンスはあったのに。何がダメだったんだ! どうすればよかったんだ! 何を間違えた! なんでループが終わっちまったんだ! 助けたかったのに! 救いたかったのに!」
意味不明な言葉を叫び続ける俺の涙が枯れるまで、看護師さんは隣にいてくれた。
その日の夜。夢を見た。
美加と、初詣に行った時の記憶だった。
大きな神社で、参拝の列には大勢の人が並んでいた。
のろのろと半歩ずつ進み、三十分程してからようやく順番が回ってきたのだが、俺は後ろの待機してる人間の圧力に押されて、そそくさと二礼二拍手一礼を終えた。
しかし、隣の美加は、じっくりと、俺が後ろの人に怒られるのではないかと心配になるほどの時間をかけて、参拝をしていた。
「長かったな」
人混みを離れてから尋ねると、美加は頬を膨らませながら答えた。
「あなたの為にお願いしてあげたのに、何よ、その言いぐさ!」
「そうだったの? 俺の再就職先が見つかるように? とか?」
「ううん。ハローワークにいっぱい求人がありますようにって」
「そこ止まりかよ」
気が抜けた俺は、大きな砂利に足を取られて転びそうになった。
「大学の時に、あなたの試合を見にいった時も、私はあなたに打席が回ってくるよーに。ってとこまでしか、神頼みしてなかったのよ」
「どうせ神様に頼るならさ、全部やってもろうぜ」
「それはダメよ」
美加はわざわざ立ち止まって説明した。
「成功するように頼んだら、失敗した時、神頼みが失敗したことになるでしょ? でも、チャンスを何度でもください。だったら、ずっと効力は続くじゃない」
「神様を信じているのか疑っているのか、よく分からないスタンスだな」
「とにかく、大丈夫! 死にさえしなければ、何度もチャンスは来るってことよ。人生、常に道半ば!」
美加に背中を叩かれながら、鳥居をくぐった。その先には、風景というものがなかった。ただ、白い世界が広がっているだけだ。
「人生、常に、道半ば……。あのループ現象は、お前がそんな願い事を神様にしてたから、プレゼントしてもらえたものなのかもな」
俺のぼやきに、美加が「何の話?」と首を傾げた。
美加と同じように首を傾げてから、これが夢だったことを思い出す。
「いや、こっちの話だよ……」
その時、全身が泡立つかのように震えた。
「まて、まさか、もしかして……」
美加に視線を戻す。彼女が、動いてもいないのに、どんどんと離れていった。
その時の彼女は、わずかに微笑んでいるようだった。
「まさか――」
瞼をあげると、額の汗がこめかみを流れて、枕へと落ちていった。
「まさか……」
夢の中と同じ言葉を呟いて、俺はすぐさまナースコールを押した。それでもなお、看護師を待つことすらできずに、俺は必死にベッドの上で上半身を持ち上げた。
他人のものになってしまったかのような足を、床に投げ出す。ベッドの手すりにつかまりながら立ち上がろうとしたが、タコのように、足が折れ曲がり、倒れ込んでしまった。
「ちょっと! 何してるんですか!」
やっと病室へとやってきた看護師さんに、俺はすがりながら懇願した。
「リハビリ室に! 連れてってください! 今すぐ!」
その日から、意思を伴ったリハビリが始まった。
まずは、足の指先を動かすこと、正確には、動かそうとすることから始める。
それを繰り返すことで、徐々に神経を再生させていくのだ。しかし、それは、感じずにすんでいた痛みを、取り戻すということでもあった。
足には無数のボルトと金具が埋め込まれ、腱も治りきってはいない。神経が再生していくのに比例して、足の痛みは大きくなり、眠れない日すらあった。
それでも、恐怖心はなかった。
それまでリハビリを促していた理学療法士も「少しずつでいい」と俺を説得してきた。しかし、俺は無視して、必死にリハビリに打ち込んだ。
歯を食いしばりすぎて、前歯と奥歯が一回ずつ欠けた。
そのおかげか、最初はタオルと紙やすりの違いも分からなかった指先が、医者の治療をくすぐったく思うまでに回復し、三度目の手術で関節の金具がすべて取り払われた。
年を越す頃には、車椅子へ一人で乗れるようなった。
雪が降る頃、短時間ならば、つかまり立ちができるようになった。
冬が終わり、病室の外で桜の花が咲いた頃、リハビリ室の手すりに体重のほとんどを預けながらではあるが、数ミリ足を動かすことに成功した。
両親は泣いていたが、俺の目標はまだその先にあった。
朝、目を覚ますたびに妻の声が響いた。
――死にさえしなければ、何度もチャンスは来る! 人生、常に道半ばよ!
一日一歩が限界だった体も、二歩、三歩と踏み出せるようになった。
「まだ! かよ!」
リハビリ用の手すりに体を預けながら、俺は叫んだ。その言葉の意味が分からない理学療法士は、深刻な表情で俺を止めた。
「頑張りすぎですよ。今日はこれくらいにしましょう。また、悪化したら元もこもないです」
「もうすぐ、もうすぐのはずなんだ……」
理学療法士が車椅子を取りにいっている間、俺はもう一度、体勢を立て直した。両脇で手すりを挟みながら、体を持ち上げていく。下半身をカバーする為に鍛え続けた腕は、入院前の二倍ほどになっていた。汗が滲む二の腕で、血管が震えている。
「そうだろ……そのはずだろ……!」
――人生、常に道半ば!
俺は勝手に、ループが終わったと考えていた。
しかし、もし、そうではなかったら――?
まだ今現在この瞬間も、ループの途中なのだとしたら? 俺はまだ、ループの条件を満たしていないだけなのだとしたら――!
なんの根拠もない、希望的観測だ。でも、それにすがらない選択肢など、俺の中にはなかった。
マウスピースを砕かんばかりに、顎を食いしばる。
「なら……!」
その時、汗が手の平と手すりの間に入り込み、摩擦が消えた。
「危ない!」
療法士が叫ぶ。彼はすぐ後ろにいたはずだったが、その声は、遠くでしているように感じられた。
俺は、心の中で彼に答える。
構わないんだ。俺は、行かなきゃいけないんだ。
ラップの芯のように細くなった足を、前へと傾ける。
到底、全体重を支えられるほどの強度はない足。でも、その足の裏をぶつけるように、地球を蹴り飛ばすかのように、俺は右足を差し出した。
手の中のスマートホンから、大袈裟なファンファーレが流れた。
いや、今回ばかりは、決して大げさだとは思わない。俺の凱旋を、どこかで誰かが讃えているように聞こえた。
続いて耳に飛び込んでくるのは、フォークと食器がぶつかる音だ。鼻には、コーヒーの匂い。
店員がレジカウンターから身を乗り出して、俺に声をかける。
「お待たせしました。温かいホットコーヒーです」
全身が震える。恐怖ではない。歓喜と安堵が、同時にそこにあった。
靴の中でつま先を持ち上げて、両足が自由に動くことを確認する。リハビリで太くなった腕も、今は元通りだ。
帰ってきた。あの日の。十三時十八分に。
俺が探し求めた、ループの条件。
エスカレーターを駆け下り、美加のもとを目指した時は、彼女に辿りつく前にリセットが起きた。
しかし、一回目、エスカレータで下に運ばれた時は、彼女を広場の脇のドラッグストアまで運ぶことができた。
コーヒーショップの中で電話を掛けた時、不安になる程、起きなかったループ。
そして、飛び降りて足が壊れた時、一年以上起きなかったループ。
手の中で起動している、限られた攻撃回数でモンスターを倒すゲームと同じだ。このループには、行動回数に制限がある。その回数に達すると、ループが起きてしまうのだ。
そして、おそらく、その単位は――。
「歩数」
この現象を引き起こしたのが、やせぎす男の言っていた神様の力なのかどうか、未だに確信は持てない。
それでも、俺の仮説は、必死に這いまわったこの一年間が証明してくれた。
――でも、あなたが、力の限界、ルール、条件を把握して、力を使えばいいだけの話ですよ。あなたが無事、悲劇を修正できることを願っています。
「神様、恨むぜ。ややこしいことしやがって……」
おかげて、地獄のような痛みに耐えなければならなかったじゃないか。
ただ、その間に、アウトドア洋品店においてある登山用のロープの使い方も、スポーツショップのバットを使った逮捕術も、頭に刻み込んできた。
さぁ、行こう。これが最後の十三時十八分だ。
今、君を救うから――。